老少不定

人間の寿命がいつ尽きるかは、老若にかかわりなく、
老人が先に死に、若者が後から死ぬとは限らないこと。
人の生死は予測できないものだということ。
▽人生の無常をいう仏教語。
不定」は一定しないこと、決まった法則や規則がないこと。
「少」は若い意。


出典:goo 四字熟語辞典


9月30日祖母が89歳で亡くなりました。


認知症だった祖母。
デイサービスなどに通ったり、口はまだまだ達者で
自力で歩行したりと元気にしていたのですが、
3ヶ月ほど前、受けた検査で結核菌が見つかり、
隔離病棟のある国立病院へ入院。
認知症も進んでしまい自分で動かなくなった事で、
体も小さくなったりしていたのですが
ご飯も自分で食べ、母が見舞いに行くと話をしたりして
まだまだ元気にしていると聞いていた矢先の事でした。
直接の死因は結核ではなく、原因不明の脳内出血によるもので
自力呼吸が出来にくくなり、急変して数時間で旅立って行きました。


18時頃に仕事していたら携帯に妹から電話が入り、
定時を過ぎていた事もあり、対応すると
祖母が急変し、今夜が峠である事を告げられ
上司に報告して夫と病院に駆けつけました。
病院には母がおり、容態を聞くと夕方急変したとのこと。
母もその日は体調が悪く、見舞いを控えるつもだったそうで
なんとなく夕方、体調もよくなったので顔だけでも…と
訪れた所に看護婦さんが駆けつけて知らされたと。
(ちょうど母に連絡をいれようとしてた所だった)
少し遅れて妹夫婦が到着し、心拍や酸素量が落ち込んだり回復したり…
不安定な様子がしばらく続き、元々祖母と同居していた叔母が
病室に駆け込んできて、数分後、静かに息を引き取りました。
その日、県内にいた全ての親族に見守られての旅立ちでした。
きっと、叔母の事を待ってくれたんだと思います。


祖母が生前から希望していたので身内だけでこじんまりと送り出す事にし
なぜか私が葬儀場の手配をして、その日は帰宅。
翌日は出社して、通夜のために早退。
15年ぶりくらいに会う従兄弟が変わってなくて、
ずっと会ってなかったのが嘘みたいにお喋りに花が咲いたり
あーでもないこーでもないと祖母との思い出話をして
お通夜はしんみりというよりも、賑やかに終了しました。
でもやっぱり、葬儀の時は眠る祖母を見て涙がこらえられず、
会場にあった全ての花をお棺に入れてあげ、
祖父の写真と納経帳を添えて送り出しました。
祖母が入院してから、どこかで覚悟していたつもりだったけれど
いざ、別れが現実になると、やっぱり辛い。
そして急激に後悔ばかりが襲って、やるせない。
もっと一緒にでかければよかったとか、
もっと遊びに行ってあげればよかったとか、
もっとお見舞いも行ってあげればよかったとか、
言い出したらきりがないけど、そういう事ばかり考えてしまう。
普段、見過ごしている事なのに、人の死に直面した時にしか
こういう事を省みれない人間って本当に愚かだなぁと
会社の女の子としみじみ話をしてしまった…。


人の生き死に、特に死は突然で、
今日とも明日ともわからないもので、
毎日、顔を合わせて触れあう全ての人に
その日、後悔の無いように生きていきたいと
こういう時だからこそ、強く思いました。
きっと私は愚かな人間なので、すぐに忘れてしまうと思うけれど、
こうして書き記す事で、読み返したときに思い出して
そしてまた心の片隅において生きていこうと思います。
そしてこれを読んだ人も、そう思ってくれたら嬉しいです。